省察的実践者ってどんな人? ショーンの「省察的実践」とは何か 〜後編〜

学習理論

前編では、ショーンの「省察的実践」とは何か、から主に背景の部分を書きました。今回は、私たちが<知>生み出すプロセスと、専門職としてのあるべき姿についてまとめていきたいと思います。

この記事を通して、省察的実践者としての自分の働き方について考えてもらうきっかけになると嬉しいです。

行為の中の省察(reflection-in-action)のプロセス

<知>は実践を通して生み出されるのでした。省察(reflection)と言うと、過去を振り返るイメージが強いですが、前編でお話しした省察の語源の通り、実践そのものも、<知(わざ)>であり省察であるというのが、ショーンの省察です。

さらに、このプロセスを5つに分けて少し具体的にみてみます。

①は、<知(わざ)>が暗黙的に生み出され、状況の中で意図された結果を生み出す段階です。一度できるようになると、そのことについて特に考えなくてもスムーズにできます。

②は、予期せぬ結果とそれに伴う驚きに気づき、引き付けられる段階です。今までできていたはずなのに、失敗した!びっくりした!などがこれにあたります。

③は、驚きを省察につなげる段階です。②のような状況になったとき、二つの選択肢があるとショーンは言います。無視するか省察するかです。

④は、現象の理解や問題把握の枠組みを状況に即して組み立て直していく段階です。このときの省察の方法にも様々あります。家に帰ってから過去を振り返るように省察すること(reflection-on-action)もあるだろうし、そのまま自転車に乗りながら試行錯誤することもあるでしょう。

⑤は、現場での実験により新しい行為を考え実際に行う段階です。上記の図だと、マンホールを避けながら自転車を走らせることや、転んだときのためにヘルメットをつけるなどの実験をしています。

個人的には③がポイントだと思います!

行為の中の省察のいろいろ

省察の場面についていくつか紹介しようと思います。

見なす!過去の経験を固有の状況へともち込む

これって結構やっていると思います。私たちは、目の前の状況を過去の経験と何が違うのか見つけようとします。初めは過去の経験と現在の経験の類似点や相違点をはっきり述べることはできませんが、省察によって明らかにしようとします。例えば、同じ疾患の患者さんでも、経過が違うことがあります。患者さんのどのような背景が経過の違いに影響するのか考えることで、自分の中の新しい枠組みを作り出しています。他にも、全く関係のないことでも、なんとなく似ていると感じることってありませんか?自転車の乗り方を思い出しながら、看護師の成長について考えるのも、見なすことによって省察していると言い換えることができます。

既存のルールに当てはまらない問題に対し勘が働くというのは<見なし>て<同じように行為する>能力である。実践者の<わざ>を決めるのは、行為の中の省察によって経験したレパートリーの幅と多様さである。とショーンは述べています。

仮想世界

実践の場面だけが省察の場面ではありません。例えば、医師や先輩に報告することや、プライベートで他の人と仕事について話したりすることも省察の場面として捉えることができます。この時、実践はしていませんが、仮想世界を作り出しその中で<行為の中の省察>を行い、実験することができます。

私の個人的な印象ですが、成長が早い人って、この仮想世界での省察をたくさんしているのではないかと思います。例えば自分のアセスメントについて友達に聞いてもらうことだって省察なんです。自分の言葉で自分の考えを説明する。自分自身を批判したり、相手の批判を受け入れながら枠組みを変化させ、レパートリーを増やしていく。同期や友達、なんでも話を聞いてくれる先輩を大切にしたいです。

省察を制約するもの

省察的実践を制約するものには、組織における目標が固定されいている状況や、勝ち負けによる価値観の支配がある状況があります。

さらに、問題解決の方策における省察のみが行われ、自身の問題設定のあり方や、行動の元となる理論の省察を行わない、また、自らの理解の枠組みの中でしか省察が行われない状態が続くと省察的実践は制約されます。

私の経験について2つ例をあげたいと思います。

組織の目標が固定され省察が制約される場面の例として、退院支援において在院日数の短縮が強く意識されることで、在院日数短縮のための手続き(連絡先を覚えたり、必要な書類や手続きを覚えるなど)に関する<わざ>は熟達するが、患者さんのQOLを向上させるような支援(意思決定や倫理的な配慮)に関する<わざ>は熟達しずらいのではいかと感じたことがあります。ときには、多少在院日数が伸びてしまったとしても、意思決定支援などに多くの時間をかける必要がある場合もあります。

問題解決のみに焦点をあて問題設定を問わない場面では、診断名を欲しがる看護師をみたことがあります。例えば、術後の経過も良好で、身体的な問題はないけど、なんとなく元気がないように見える、自宅に帰るには不安が残る一人暮らしの高齢患者さんがいたとします。その看護師は診断がつけば、それに対してケアができるのに・・・と悩んでいました。でも、診断名がついていなくても私たちができることってたくさんありますよね?

プロフェッショナルとクライアントの関係

省察的実践家とはどういう人か?ということをイメージするのに役立つと思います。

ショーンは、専門家(expert)と省察的実践者(reflective practitioner)を以下のように比較しています。

専門家(expert)とクライアントの関係

  • 自分は不確かだと思っても、知っていることを前提にされており、知っているものとして振る舞わなければならない。
  • クライアントと距離を置き、専門家の役割の保持に努めるのが良い。クライアントに、自分が専門家であることを理解させるとともに、「甘味料」のような温かささと共鳴の感情を伝えると良い。
  • クライアントからの反応の中に、プロフェッショナルである私の社会的人格に対し、福住と尊厳の気持ちがあるかどうかを探してみると良い。

省察的実践者(reflective practitioner)とクライアントの関係

  • 知っていることを前提にされているが、私だけがこの状況下で、関連する重要な知識を持つ人間なのではない。私が不確かであることは、自分にとっても相手に対しても学びの機会になりうる。
  • クライアントの考え方や感情を知るように努める。置かれている状況の中で、クライアントが私の知識を発見し、その知識に敬意を示してくれるのならば喜んで受け入れよう。
  • 自由な感覚およびクライアントとの真の結びつきを探究してみよう。プロフェッショナルとしての体裁を取り繕う必要はない。

Schön, D. A. (2007). p317 表10-1 専門家と省察的実践者より引用

さらに、プロフェッショナルとクライアントの契約についてはこのように比較しています。

伝統的な契約

  • プロフェッショナルに任せている。そうすることで信頼に基づく安心感を得ようとしている。
  • 良い仕事をしてくれていると安心感を持っている。プロフェッショナルのアドバイスに従うだけでよく、ことは全てうまくいくだろう。
  • 最適のプロフェッショナルに任せることができてよかったと思う。

省察的な契約

  • プロフェッショナルとともに、自分の事例を意味づけている。そうすることでますます、当事者としてともに行動しているという感覚を得ている。
  • 状況を少しばかりコントロールできると思っている。全てプロフェッショナルに頼りきりではないからだ。私だけが提供できる情報と行動を、プロフェッショナル自身もまた頼りにしている。
  • プロフェッショナルの能力を判断できるのが嬉しい。またプロフェッショナルの知識や彼の実践の場で起こる出来事について、まった自分自身について発見できるのが楽しい。

Schön, D. A. (2007). p320 表10-2 伝統的な契約と省察的な契約より引用

上記のような関係性や契約は、そのまま、患者さんと看護師としての私の関係や契約と置き換えることができます。特に、省察的な契約の場面として、私は患者さんに説明した上でケアを選択してもらったり、患者さん自身が症状を自覚し知らせてもらえるよう説明を行っていました。

看護師が省察的実践者として働くことは、患者さんの自律にとってとても重要だと言うことがわかります。

まとめ

省察的実践者とはどのような人かなんとなくイメージできたでしょうか?また、専門職として成長するにはどのような視点が必要か、ヒントになることがありましたか?

教科書を読むこともとても重要ですが、それと同じくらい普段の実践の中からもたくさんの<知>を生成しています。少しでも、みなさんの学習を進める手助けになると嬉しいです。

参考文献

Schön, D. A. (2007). 省察的実践とは何か: プロフェッショナルの行為と思考  (柳沢昌一・三輪建二訳). 東京:鳳書房. (原著発行年1983).

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