専門職として成長する!ショーンの「省察的実践」とは何か 〜前編〜

学習理論

私は、看護師が実践の中でどのように成長していくのか?どのように支援したら効果的か?ということに非常に興味があります。このような問いの答えを探す中で、ショーンの著書に出会いました。

私がこの本を読むまで抱いていたイメージは、ショーンといえば、リフレクション。でもコルブよりなんとなく馴染みがない。そんな感じでした。

今回紹介する「省察的実践」とは何かには、専門職として私たちが成長するためにはどのような視点が必要か、たくさんのヒントが書かれています。かなり厚い本なので、読むのが大変です。本の存在は知っていましたが、正直、読むのを躊躇していました。そんなショーンの著書「省察的実践」とは何かについて2回に分けて、簡単にまとめたいと思います。

今回は、とくに専門職の<知>はどのように生み出されるかについて書きます。

著者の概要

ドナルド・アラン・ショーン(1930-1997)

ボストン生まれ。イェール大学で学士号を取得し、ハーバード大学で哲学の修士・博士号を取得しました。(wikipediaより)ショーンの理論は主に経験学習で語られることが多いです。

リフレクション 省察(せいさつ)について

リフレクションの原点はデューイの「その人の信念の根拠を評価すること」という定義だそうです。

リフレクションには、反省、内省、ふり返り、省察などの訳があります。

  • 「反省」・・・自分の過去の行為について批判的な考察を意味する。批判的な意味合いが強い印象。
  • 「ふり返り」・・・批判的なニュアンスは減るけど、過去の意味合いが強い。
  • 「内省」・・・自分の内面を見つめることのみが重視される可能性がある。
  • 「省察」・・・省(しょう)という読みだと「はぶく」「官庁」の意味で使われる。省(せい)だと「かえりみる」という意味で使われることが多い。

上記から省察(せいさつ)と読むそうです。ここまで考えられているんですね。翻訳ってすごいです。

ショーンの主張

この本でショーンは、技術的合理性というものをめちゃくちゃ批判しています。この本を通してずっと批判しています。この技術的合理性というものをなんとなくわかっていると、少し読みやすくなるのではないかと思います。

技術的合理性とは何か

技術的合理性について簡単に図にしてみました。結構馴染みのある考え方だと思います。

技術的合理性での<知>は基礎科学や応用科学など研究によって生み出されます。専門職は、それらの<知>(理論なども含む)を厳密に実践に当てはめて問題解決をしようとします。しかしこれだと、複雑な背景をもつクライアントや患者さんの問題を解決することができない場面があり、どうしてもジレンマに陥ってしまう・・・。これを厳密性と適切性のジレンマとショーンは呼んでいます。

専門家たちは自身の権威を守るため、細かな領域に分かれていきます。これと同じように看護の世界でも、年々領域が増えていますよね。このような構造では、基礎科学が最も権威が高く、実践が一番低いという階層的な構造になります。

厳密性と適切性のジレンマについてもう少しみてみます。

例えば、貧困な家族を救うためにはどのような関わりが必要か。これを考える際に、技術的合理性に基づいて考えると、管理栄養士は食事の面から問題を解決しようとするかもしれません。医師であれば健康上の問題を解決しようとするかもしれません。また、経済の専門家や流通の専門家など様々な視点でこの家族の問題を解決しようとします。しかしこれで本当に貧困な家族の問題は解決するのでしょうか?これに似たような問いと解決策が実際にこの本に載っています。

省察的実践とは何か

ここからが本題です。ショーンは言います。専門職の<知>は、行為の中〈in〉にある!

専門職は、実践の中で、問題解決ではなく問題設定をまず行います。何が問題なのか、何に注目すべきなのかという問題設定を行い、自身の持つ枠組み(フレーム)を適用しようと試み、状況に合わせフレームを分解し、再構築するという思考を辿ります。普段は意識されず暗黙になっている行為も、思考を表出し省察することで<わざ>になります。

どんなに理論を知っていても実践でうまく活用できないってことを経験したことはありませんか?EBMが主流となり、どんな行為にもエビデンスが求められる時代ですが、研究の知見を患者さんに適応する際には、一旦その患者さんに合わせた適応の仕方を考えているはずです。

この他にも、教科書に書いてある内容を覚えても、なかなか患者さんのケアに活かすことが難しい・・・なんてことはありませんか?これも同じように、教科書に書いてある知識を活用するためには、<わざ>が必要です。私たちは、教科書的な知識を実践に活かすために、知らず知らずのうちに試行錯誤しています。その経験が積み重なり、知識を実践に活かせるようになっているんです。自転車の説明書を呼んでも自転車に乗れるようにならないのと一緒です。この<わざ>を言語化することは難しいですが、言語化できれば、専門職として自分の成長にも、学習者の支援にも、とても大きな意味を持つと思います。

個人的には、臨床判断の成長や思考発話と相性がいいなと思っています。

まとめ

今回は、ショーンの「省察的実践」とは何かから、専門職の<知>はどのように生み出されるかについて書きました。ショーンの言うリフレクションがどこからきているか、技術的合理性を批判するところからきているんだ!ということを私は実際に本を読むまで知りませんでした。

大学院生らしからず、一人でこそっと読んだ本なので、私の解釈もまだまだです。実際に本を読んでみて、ここはこうだ、これは間違ってるなどありましたら教えていただきたいです。

次回は、後編として「省察的実践者ってどんな人?」をテーマに記事を書いてみようと思います。

参考文献

Schön, D. A. (2007). 省察的実践とは何か: プロフェッショナルの行為と思考  (柳沢昌一・三輪建二訳). 東京:鳳書房. (原著発行年1983).

コメント

タイトルとURLをコピーしました