答えを与えすぎると相手は考えなくなってしまうのか!?思考発話に取り組んでいたときの実地指導者の不安と向き合う

教育方法

今回のキーワードは「過剰学習を避ける」です!学習支援をするにあたり、「考えてもらうことが大切だ!」「答えをあげすぎてはいけない!」なんて思ことはありませんか?

一方私は、「お手本をじゃんじゃん見せた方が効率的だ!」と思い病棟全体で思考発話に取り組んだことがあります。しかし、この思考発話の取り組みにあたって、「答えばかり与えて本当に大丈夫なのだろうか?」という疑問の声を聞いたことがあります。今回は、このような疑問について考えたいと思います。

答えを与えまくる!思考発話への取り組み

私が以前新人教育担当責任者だったとき、新人教育において病棟全体で思考発話に取り組みました。

実地指導者となる先輩が自分の考えを新人看護師に積極的に伝えよう!お手本を見せよう!を合言葉に、新人教育に取り組みました。

5年ほど経過していますがこの取り組みは今も継続されているようです。
この思考発話の取り組みは新人教育だけでなく日々のリーダーへの報告の際やカンファレンス、他職種とのやりとりの中でも浸透しているようでした。

そんな中、最近リーダー役割を担う後輩から「こんなに答えばかり与えて、新人は危機感を持っているのだろうか?本当に自分で考えられるようになるんだろうか?」という相談を受けました。


リーダー看護師の発言を掘り下げると、「危機感を持って欲しい」ということは、「リーダーに聞けば全て解決すると言うわけではないと理解してほしい(少し似ているが、リーダーだって間違った発言をするかもしれないので文献などで確認してほしい)」という気持ちがあるかもしれません。

私の言ったことが全てではない!過剰学習とそれを避ける関わり

実地指導者やリーダーが思考発話やアドバイスをした際に、「この人が言っているのだからこれが正しいのだ!」など新人や学習者がそれを唯一の正解だと思ってしまい、それ以上学習(省察)が進まなくなることを「過剰学習(ショーン,2017)」と言います。

先程の「こんなに答えばかり与えて、新人は危機感を持っているのだろうか?本当に自分で考えられるようになるんだろうか?」という相談は、過剰学習を避けるにはどのように関われば良いか?と置き換えることができるのではないかと思います。

過剰学習はショーンの省察的実習にでてくる学習拘束のひとつとして紹介されています。

この過剰学習は省察的実習の評価の視点でも触れられています。省察的実習の成果(学習の成果と置き換えても構いません)を二次元的に表した時、過剰学習の対極にあるものとして、多様な提示があります。

過剰学習/多様な提示は、コーチからの推奨を唯一の正しい方法として取得する/多くのものの中の一つとしてみなし、並列的に比較検証したり他の見方と結びつけて考えたりする、そのための方法の一つとして見なすような学び方(ショーン,2017)とされています。

過剰学習から多様な提示に学習者が移行するには、学習拘束を解くための関わりであるリーダー自身の発言の意図を伝えることも有効だろうと思います。例えば、上記の心配事を抱えるリーダー自身が、「リーダーに聞けば全て解決すると言うわけではないと理解してほしい。」「リーダーだって間違った発言をするかもしれないので文献で確認してほしい。」などと自分の意図を伝えることが過剰学習に陥らないための一つの方法だと思います。

さらに言えば、思考発話の中でリーダーが似たような場面で判断が異なるような事例についても言及しても良いかもしれませんが、これは時間の制約上難しいかもしれないし、まず実践が安全にできてほしいという気持ちもあるだろうと思います。また、様々な提示により後輩の混乱を招くかもしれないため勤務後など比較的落ち着いたときに伝えると効果的かもしれません。

まとめ

「過剰学習」いかがでしたでしょうか?

個人的には過剰学習に至らない関わりというのは結構難しいです。学習者の視点にたってみると自分自身大学院に入る前までは影響力のあるひとの発言にすぐに流されていた気がします。また教育者の視点に立つと自分自身の発言や関わりが過剰学習になっているのか、学習拘束になっているのかということを見分けることも難しいように感じます。本当に学習者自身の気づきや学びにつながったのかどうか、自身の関わりについてリフレクションを続けなければならないのだろうとあらためて思います。

学習者の自律を促すために、相手から答えを引き出そうとする「発問」をじゃんじゃん使うというのも一つの方法だと思います。
私は発問も重要な教育手法だと思いますが、特に臨床での教育においては、「お手本」をじゃんじゃん見せる方が効率的であり患者さんにとっても利益があると考えています。

唯一の正解がない臨床実践の場面では答えがなんなのか状況に応じて変化しますし、医療者がお互いの考えを照らし合わせることで患者さんにとってのベターを探るという行為を日常的に行なっていると思います。

時折、「この人は看護計画を立てるのが苦手だから、やらせよう。」「自分でやり始めるまで待とう。」という場面を見ることがありますが、そもそもそんな看護計画ならいらないのでは?と思ってしまうことがあります。その時必要なことをタイムリーに考え、修正していく中でこんな計画はどうだろう?と担当看護師と話し合う方が患者さんにとっても担当看護師にとっても良いのではないでしょうか?これは私の考えですが、臨床では教育<患者なのです。
一方で基礎教育では時間をかけられる部分であり、視野を広げやすい部分でもあると思います。発問がよく使われます。しかし、基礎教育においても「実際の看護師ならどう考えるか?」という答え?(お手本?)を聞くことは、意味のあることだと思います。

「発問」にしようか「お手本」にしようか。つかいどころとバランスが大切ですね。

参考文献

Schön, D. A. (2017). 省察的実践者の教育 : プロフェッショナル・スクールの実践と理論  (柳沢昌一・村田晶子訳). 東京:鳳書房. (原著発行年1983).

コメント

タイトルとURLをコピーしました