看護に役立つかもしれない社会学での学習内容

その他

私が社会学の講義を受講した理由は、当初、質的研究に批判的だったからだと思います。

私は急性期病棟に所属していこともあり、病態生理の知識や医学的な知識、ガイドラインなど量的な研究からの知見などを大切にしていました。患者さんの命を守るためには絶対必要であり、最も優先されることだと信じていました。この考え方は今でも大きくは変わりませんが、もう少し別の捉え方もできるようになった気がします。

今回は社会学で私が学習したこととを書きたいと思います。

社会学で学習したこと

社会学で学習した内容を簡潔にまとめました。

社会学の専門家の方がみたらお叱りを受けるかもしれません。言葉足らずの部分や解釈が異なる部分もあるかもしれません。あくまで自分が学習したこととしてまとめてみます。

【シンボリック相互作用論】

G・H・ミードが確立した。社会はどのようにして秩序を保っているのかという疑問に答えようとした。個人の経験などの内側からのアプローチと刺激に反応するといった外側からのアプローチの両方向からのアプローチからうまれる。それはコミュニケーションを通じて生じるものであり、単に言語に表現されている内的意味だけでなく、集団内での協同の中で意味がつくられていく。他者とのやり取りの中で共通の理解を得ていき、意味を作り上げていく。これが相互作用である。人との関わりによって意味が作り変えられていき、社会になる。意味の世界を創造していくことである。

キーワード コミュニケーション、創造性、意味の世界

【グラウンデッド・セオリー】

GlaserとStraussにより確立された。1960年代のアメリカでは、検証型調査(量的研究のような)が主流あり、それでは現実の様々な現象を理解・説明しきれないと批判し、確立されていった。病院内のエスノグラフィーから死のアウェアネス理論を構築し、その過程をグラウンデッドセオリーアプローチと呼んだ。死のアウェアネス理論は、医療者と患者の間にどのような相互作用があるか、そのやりとりの特徴と関係性を分類し抽象化したものである。

キーワード 相互作用、死のアウェアネス理論、エスノグラフィー

【M-GTA】

グラウンデッド・セオリーと骨格や相互作用という点で共通している。GlaserとStraussのグラウンデッド・セオリーではエスノグラフィーによって理論を生成していたが、現在は方法としてインタビューが主流であり、現代の方法に沿って体系化された。フィールドワークでは、現場で観察の対象、人間、相互行為に分析の焦点を当てているが、インタビューでは語られた内容や経験の表現に着目しており、データとの接点が異なっている。M-GTAではデータ収集において研究者は、協力者との相互作用があり、データ分析においては分析焦点者との相互作用、分析結果の応用では応用者との相互作用があり、らせん状であり、インタラクティブである。

キーワード 相互作用、グラウンデッド・セオリー、データとの接点、らせん状

【ナラティブ】

ナラティブ個々の具体的な物語であり、権力の強いものから弱いものへという政治性をはらんでいる。セオリーを批判することから始まった。ナラティブセラピーは臨床社会学の一つの方法であり、個々の物語や偶然を説明することであり、現実と言葉の関係(社会構成主義)に注目し、物語を書き換えていくことである。書き換えるに当たってセラピストとクライエントの間に政治性がうまれる。自分の物語は困難な時に重要視される。自分の経験の物語から自分が受け入れやすいような物語に変え、自分たちで定義していくことである。物語を書き換えることにより問題を解決するのではなく解消していく。

キーワード 物語、政治性、問題解決から解消へ

【現象学】

現象学的はそれまで数学的に捉えられたものが客観性とされており、普段起きていることは無視されたことを批判した。普段起きていることを客観的に科学的に説明することを目的としている。現象学的研究が求めるのは、そうした抽象化を行う以前の「直接経験」あるいは「生きられた経験」に立ち帰ることである。これを還元という。目の前で起きたことをどのように説明するかという問いに対し、数量化やGTAは説明しきれないことから現象学に注目する人もいる。事例を一般化するにあたりどのように事例を読む客観性を保つのかという問題があるが、事例を繰り返し読むことで、解釈する自分を無効化する。

キーワード 事例、事例を一般化する、客観性、解釈する自分の無効化、還元

社会学を学習した後の自身の考え

レポートの一部を抜粋

自身の看護師としての経験では、急性期病棟に勤めていたからかもしれないが、ケアの場面で医学が切っても切れない関係にあり、患者の治療効果を最大にする・QOLを向上させるという面で最も重要視していた。看護師がしばしば、患者の「食欲がない」、「眠れない」などの体験を医学的に説明すること十分でないまま心理的な側面などに注目し説明しようとしている場面を見て、心理的・社会的な側面を批判的に捉えていた。【シンボリック相互作用論】、【ナラティブ】、【現象学】などは検証型の研究・数量化・自然科学だけでは、目の前にある事象や社会の成り立ちや行動を説明できないという批判から始まっており、確かに看護の場面では医学だけで説明できない部分もあると認識させられた。またその事象を説明する力の強さを感じた。一方でやはり、医学は重要であるということを捨て切れない。例えば、患者に薬を渡す際に、医師が説明して渡すことと看護師が説明して渡すのとでは同じ薬であっても治療効果やQOLに違いがあるかもしれない。このようなことをどのような視点で、どのように説明するかを考えていくことが看護の分野ではまだ不十分である。

教員からのコメント

指摘されているが、質的研究は医学と対立するものではなく患者からみると相互補完関係である。そこで看護の学問的自律性とケアへの役割の明確化が求められていて、確実な成果をもたらせる理論と方法が要請されている。ここにどのような成果がもたらされるかへの期待は大きい。

まとめ

看護は量的研究と質的研究の間に位置しているように見える。看護学には学問的な対立を乗り越える可能性が秘められている。

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