新人教育について考える 日々の支援のカナメ!〜実地指導者編〜

新人教育

今回は新人教育で最も新人看護師と関ることの多い実地指導者について考えたいと思います。お恥ずかしいですが、私のプリセプターとしての経験を踏まえながら書きたいと思います。先に結論をいうと、「組織の方針と自分の教えたいことを分けて考える」「ひとりの実地指導者に責任を集中させない」です。あくまで私の持論です。異なる考え方があってもいいと思います。

この記事は初めて後輩ができる人、初めてプリセプターになる人、日々新人看護師に教育的な関わりをする人に向けて書きます。また、プリセプターなどを任命する役割を担っている人の参考になればと思います。

この記事を読むことで、実地指導者として自分が頑張りたいと思っていることと、組織から求められていることをひとつずつ言語化できれば嬉しいです。

実地指導者とは

まず、実地指導者の役割について確認したいと思います。新人看護職員研修ガイドラインをみると

実地指導者は新人看護職員に対して、臨床実践に関する実地指導、評価等を行う者であ
る。看護職員として必要な基本的知識、技術、態度を有し、教育的指導ができる者である
ことが望ましい。実地指導者の配置は、新人看護職員に対し継続的に指導を行う一人の指
導者を配置する方法や各新人看護職員に対し複数の指導者が担当する方法、チームの中で
日々の指導者を配置する方法などがあり、部署の特性や時期によって組み合わせるなどの
工夫を行う。

新人看護職員研修ガイドライン【改訂版】より引用 https://www.nurse.or.jp/nursing/education/shinjin/pdf/kentokai-betu-0714.pdf

と記載されています。

後半の実地指導者の配置ですが、プリセプターシップなどさまざまな方法があります。これは組織によってさまざまだと思います。特に重要なのは、離職防止のための精神的支援の工夫であると、ガイドラインに記載されています。

新人看護職員研修ガイドライン【改訂版】より引用 https://www.nurse.or.jp/nursing/education/shinjin/pdf/kentokai-betu-0714.pdf

実地指導者として何を教えるか

ここからが本題です。学習を支援する方法についてはさまざまあると思います。今回は支援するスキルではなく考え方を中心に書いていきます。

組織の方針と自分の教えたいことを分けて考える

新人教育を考える〜教育担当者編〜でも書きましたが、組織には必ず人材育成の方針が掲げられています。組織の方針は具体的に提示されておらず、暗黙になっている場合もあると思います。私はこれを無視して自分の教えたいことを押し付けて失敗したことがあります。しかも失敗に気づくまですごく時間がかかりました。

ここからは私の経験です。

私の所属していた病棟では、このような慣習がありました。

  • 単純な事例から複雑な事例へ(食道切除術を行う患者さんを受け持つのは3年目からなど、重症な患者さんの受け持ちは数年経験してから)
  • 思考過程よりも業務内容をしっかり教える(看護技術の手順、カルテの書き方、スクリーニングの入力方法など)

当時の私は、この二つともよく思っていませんでした。

1つ目の患者さんの受け持ちに関しては、この方針の結果、先輩に重症患者さんの受け持ちが偏り、よく不満を言っているのを聞いていたためです。「3年目になってないから、まだ担当させちゃダメだったね。」、「私、こんなに重いの(重症度の高い患者)みないといけないんだ。」など、一緒に働く身としては非常にやるせない気持ちになったことを覚えています。それならいっそ経験年数の制限など設けなければいいのにと思っていました。また、先輩たちがフォローできれば、複雑な事例でも経験することができるのではないかとも思っていました。

2つ目の思考過程に関しては、私の看護に対する価値観の部分なのだと思います。カルテの書き方などはわからなければその都度先輩に聞けばいいと思っていましたし、そこに時間を使うより、患者さんのアセスメントやケアの評価について支援したいと考えていました。

私がプリセプターになったとき、自分の教えたいことがやっと教えられると思いました。その時はまだ患者さんの担当を決めることができなかったため、2つ目の思考過程のことを中心に教えました。「カルテの入力する場所がわからなくなったら、その都度聞けばいいよ。他の先輩に『同じこと何回も聞くな!』って言われるかもしれないけど、『確認なんですけど・・・』って前につけたり、聞き方を工夫すれば大丈夫。早く帰って勉強しよう。」と、よく言っていたのを覚えています。

この次の年、患者さんの担当を決めることができるようになると、1つ目の「簡単な事例から複雑な事例へ」という慣習も無視し始めました。自分がリーダー役割や実地指導者を担うときには経験年数を問わず、十分に支援しながら複雑な患者さんでも担当してもらいました。

ここで大きな失敗をしました。

比較的侵襲度の高い患者さんを新人看護師に担当してもらい、十分に患者さんのことを理解し観察やケアが行えていると判断し、翌日もその患者さんを担当してもらうことにしました。次の日の実地指導者は私より先輩だったのでフォローしてくれるだろうと思っていましたが、これが甘かった。

私は翌日昼から勤務だったのですが、私が病棟に行くと新人看護師がめちゃくちゃ怒られて泣いていました。勉強してノートにまとめられてはいたものの、先輩の発問にうまく答えることができず、叱責されたという理由でした。私も、先輩に「どうして1年目に担当させているの?」と言われました。私は説明しましたが、結局納得はしてもらえませんでした。周りのスタッフのフォローもあり、新人看護師は立ち直ってくれましたが、私のせいで辛い思いをさせてしまったと反省しました。

先輩のご指摘はごもっともです。病棟の方針が、「重症な患者さんでも新人看護師に担当してもらって、フォローしていこう」だったら、きっと何も言われなかったと思います。

この数年後、師長が変わったこともあり病棟の方針は私の価値観に非常に近くなりました。

簡単な事例から複雑な事例へから、プリセプターシップ期間は特に、複雑で重症度の高い患者さんを優先的に担当してもらい、先輩が手厚くフォローするという方針に変わりました。

また、思考過程よりも業務内容をしっかり教えるという方針は、私が教育担当者になったときに、臨床判断と思考発話を中心とした教育方法に変更しました。

私が自分の価値観に気づいたきっかけ

私は大学院で学習するまで自身の価値観を正しいと思っていました。

私の実地指導者としての支援方法は病棟に新人看護師だった頃から大学院に行くまでの間それほど変わっていませんが、新人看護師に与える影響は組織の方針によって異なります。

大学院との同期とのやりとりで、簡単なことから順を追って支援する方(友人)が良いか、それとも、初めから難しいことにチャレンジしてもらうような支援(私)が良いか、どっちがいいだろう?と話したことがありました。お互いの病棟の背景は異なりましたが、どちらもうまくいっているといった印象でした。お互いの考え方を支持するような理論もいくつかありました(友人の考えを支持する理論の方が多い印象)。そのときに、私は前述した失敗を思い出しました。みんながバラバラに支援すると学習者はきっと混乱するだろう、きっとそれが学習者にとって辛いことではないかということで、お互い納得しました。

この納得感と同時に、組織の方針と一致しない私の支援は、ただの価値観の押し付けだったのだと思い知らされました。

このことから私は、実地指導者として「組織の方針と自分の教えたいことを分けて考える」ことが大切だと思っています。

自身の価値観を認識することは難しいですが、他病棟の同期や、学校の同級生など自分の所属する組織の外にいる気の許せる仲間と少し真面目な話をしてみると気づくきっかけになるかもしれません。

自分の価値観も伝えても、もちろんいいと思います。ただ、どうしてもというときに「この病棟のルールはこうだけど、私は個人的に〇〇が大切だと思っているよ。他にもこういうやり方もあるみたいだよ。」と言うくらいでいいのかなと思います。

ひとりの実地指導者に責任を集中させない

私の所属していた病棟はプリセプターシップを採用していました。概ね経験年数が3〜4年目の看護師がプリセプターを担当していました。また、ガイドラインにあるように精神的支援の役割を担うと規定されていましたが、プリセプターとプリセプティーの勤務が重なる時は必ず同じペアになるため、実質OJTのほとんどがプリセプターに任せられている状態でした。

私が教育担当者で、勤務終了後の振り返りを1場面とすると決めたとき、振り返りの時間が長いのは決まってプリセプターとプリセプティーがペアになる日でした。

この理由をプリセプターに話を聞くと、「新人看護師が他の先輩とペアになった時、そんなことも知らないの?って思われるのがいやです。」「私が教えてないみたいに思われる。」「〇〇さん(筆者)は考え方を大事にしてって私によく言ってたけど、他の先輩が指導者のときに、できないと怒られたのが嫌だったんです。」とのことでした。(価値観を押し付けたしわ寄せがここにも・・・。)

プリセプティーに話を聞くと、「たくさん教えてくれてありがたいんですけど、実際覚えられないんですよね・・・。」とのことでした。話してくれて本当に参考になりました。

図にしてみました。

これを参考に次の年から、プリセプターの役割を精神的支援をメインにし、実地指導者はプリセプターからではなく、経験年数の長い人から担当してもらうことにしました。これを機に勤務終了後の振り返りの時間は激減しました。また、先輩達の思考発話が慣れてきたことも重なり、支援が得意な人が実地指導者になることも多くなりました。チームで育てるという認識が強くなったようにも思えました。

一方で、教育役割を担うことが成長につながる。そのため、プリセプターを教育役割を担うことが多い状況にした方がいいのではないかという意見もあると思います。その場合は、中原(2012)の、ストレッチモニタリングリフレクションが参考になります。

プリセプターを初めて担う人にとって多くの場合、その経験はストレッチ(背伸びが必要な仕事)になります。ここで必要なのは上司のモニタリングリフレクションです。モニタリングリフレクションとは、「仕事の成果を褒めてくれる、トラブルが起きたときに助けてくれる、仕事内容を振り返る機会を与えてくれる、仕事について新しい視点を与えてくれる、などを言います。このような経験により、部下の業務能力が向上するとされています。ここでいうモニタリングリフレクションは実際にやってみると非常に難しいのではないかと思います。

私が、教育役割を担うことが多い状況でプリセプターを任命する上司だとしたら、

  • 教育役割においての仕事の成果とは何か?
  • 何がトラブルなのか?トラブルは本当に察知できるのか?
  • プリセプターとの振り返りの機会はどのようにどのくらいの頻度が適切か?
  • 学びや発見につながるようなファシリテーションができるのか?
  • 精神的支援も任せるのか?他の人にするのか?

などを考えると思います。また、仕組みを整えるだけでなく、日頃から注意深く観察することが必須だと考えます。

以上から、私は「ひとりの実地指導者に責任を集中させない」ことが新人教育を成功させる鍵になるのではないかと考えました。

精神的支援の大切さ

精神的支援は非常に重要です。個人的にはうまく教えることより大切なんじゃないかと思っています。初めてプリセプターになるとき、初めて後輩ができるとき、「何を教えたら良いのかわからない。」「先輩の方が教えるのがうまいのに、どうして私がプリセプターなんだ?」と思うかもしれません。

社会人1年目を乗り切るコツや、先輩との関わり方、気分転換の方法をお話しすることだって立派な支援だと思います。どんな本で勉強したのか、特にどこが役に立ったのかなども実践知として非常に貴重です。困っていそうなとき声を掛けることや、元気に挨拶することだって、相手の心の安らぎになるかもしれません。このような関わりが、学習にとって重要な心理的安全につながるかもしれません。

プリセプターなどの肩書きの有無に関わらず、できることってたくさんあると思います。

まとめ

実地指導者について考えてみました。「組織の方針と自分の教えたいことを分けて考える」「ひとりの実地指導者に責任を集中させない」、二つとも私の経験からの持論です。

最初に戻りますが、実地指導者として自分が頑張りたいと思っていること、組織から求められていることをなんとなく言葉にできそうでしょうか?是非色々な人とお話ししてもらいたいです。自分の価値観を認識するきっかけになると嬉しいです。

参考文献

中原淳 (2012). 経営学習論 : 人材育成を科学する. 東京: 東京大学出版会. 87-122.

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