看護師の専門性ってなんだろう? 臨床判断について考える

教育に対する考え方

みなさんは「看護師にしかできないことって何か?」「看護師の専門性って何か?」と考えたことはありますか?私は、「看護の専門性のひとつに看護師の臨床判断がある。」と考えています。

看護師を取り巻く背景

ここ数年、働き方改革などにより医師の役割の一部を看護師に委譲することなどが話題になっています。それに伴い、特定行為研修やNurse Practitioner(NP)なども注目されています。その他にも、医療が必要な方に対して様々な職種が関わる時代となっています。元々は看護師の仕事であった介護やリハビリ、栄養管理、社会復帰に向けた調整など、今では介護士や理学療法士、作業療法士、管理栄養士、ソーシャルワーカーなどそれぞれの専門家たちが協働して医療が必要な人に関わるようになりました。看護師の役割は社会の流れに応じながら、少しずつ形を変えています。

看護師の業務は保健師助産師看護師法5条には、「看護師」とは、厚生労働大臣の免許を受けて、傷病者若しくはじょく婦に対する療養上の世話又は診療の補助を行うことを業とする者をいう。1)と規定されています。ここにある療養上の世話や診療の補助も必ずしも看護師でなくてもできることだと思います。看護実践能力について見てみると、看護師のクリニカルラダー(日本看護協会版)には、看護の核となる実践能力を、ニーズをとらえる力、ケアする力、協働する力、意思決定を支える力2)と提示されています。これも必ずしも看護師でないとできないというわけではありません。介護施設で働く介護士にも同様に求められる力だと思います。その他にも、特定行為なども医師の業務の一部と考えれば、看護師だけができる行為とはいえません。このように、表面上の行為だけを切り取っていてもなかなか専門性は見えてきません。

看護師のように考える「臨床判断」

 表面上の行為は他職種と同じでも、その思考過程は職種ごとに異なっていると思います。臨床判断には、状況を評価するための認知プロセス、意思決定プロセス、そのプロセスから導き出される行動、省察といった側面があります。タナーは臨床判断を「看護師のように考える」と表現しています。また臨床判断のプロセスを「気づき」「解釈」「反応」「省察」から構成される臨床判断モデルとして提示しています。3)

 清拭という行為ひとつをとってみても、本当にその人に清拭が今必要なのか、清拭を本当にして良い状況なのか、それによってどのような効果を期待するか、清拭によってバイタルサインなど生理学的な指標の変化があるか、それとも心理学・社会学的な意義があるのか、その場合どのように清拭を工夫するか、やっぱりやめるのかなど、看護師は即興で考えています。私は、このような臨床判断のプロセスを記述したり言語化することで、看護師の専門性を伝えることができるのではないかと考えています。

 しかし、臨床判断は基礎教育から看護師として働いた時のギャップが大きいことが指摘されています。このギャップは離職などにも繋がります。また、臨床判断の獲得には一定の時間がかかることが示されています。さらに、看護師として経験を重ね、熟達するほど直観的になり自身の臨床判断が言語化されにくくなります。表面上の行為が同じである以上、臨床判断を言語化できなければ専門性を訴えることはできません。逆に、言語化ができれば専門性を訴えるだけでなく、基礎教育からのギャップを埋めるための見本にもなります。

 臨床判断を言語化するためには、自分の思考過程をそのまま言葉にする思考発話が役立ちます。また、臨床判断モデルを知っていることが思考発話の助けになります。どのようなことに気づいたのか、どう解釈したのか、どう反応しようとしたか、どう省察したか、これを知っておくだけで話しやすくなります。

臨床判断の言語化への取り組み

 私は、大学生のときに先生たちから「どう考えたかを大事にしなさい」と言われてきた覚えがあります。私自身もその考えを大切にしていました。しかし、私が配属された部署では、どうやって考えたかよりも早く動けることが大事にされていました。術後の受け持ち患者さんの観察のポイントを先輩に説明したときに、「もう大丈夫だよ。」と言われたことを最後に(確か6月くらいだった)、その後の振り返りが、「どうしたら時間通りに動けるようになるのか。」ということだけになりました。「考えている暇があるなら動け」と言われているようで本当に苦痛でした。それでも、「どう考えたかを大事にしなさい」とういうことを捨てきれず、心の許せる友達に私のつたない思考過程を聞いてもらっていました。その友人は私の思考過程を愚痴としてではなく、「そのときのバイタルは?」とか「〇〇は見た?」など建設的に話を聞いてくれました。これはとても心の支えになりましたし、多分この関わりがなければ看護師を辞めていたかもしれません。3年目か4年目になり、友人とクリティカルケア看護学会に参加したときに臨床判断モデルに出会い、自分の思考過程が整理されたように感じました。その時に思考発話をすることが臨床判断の質を改善させるために重要な教育方法であることを聞き、心が救われた気がしました。

 中間管理職となり病棟の教育担当となったとき、新人教育として臨床判断の思考発話に取り組みました。積極的に自身の臨床判断を新人に伝えようという取り組みに、普段、自分の考えを言語化していなかったスタッフたちは、最初のうちは難しさを感じていたと思います。この取り組みは今でも続いており、昨年病棟に伺う機会があった際に、新人教育だけでなく、医師との会話や他職種との会話、スタッフ同士の会話の中で臨床判断の思考発話をとても上手に使っていたことに感動しました。最初の取り組みからは約4年が経っていました。時間はかかるかもしれませんが、臨床判断を言語化すること自体が、自身の臨床判断を改善する機会になります。

 臨床判断には注意も必要です。それは組織文化の影響を受けるということです。これには良い影響も悪い影響もあります。例えば、身体抑制をわりとすぐやってしまうような組織文化の中では、そのような臨床判断になってしまう可能性があるということです。このような組織文化は暗黙になっていることが多いです。他の部署に異動したり、他の部署の人と話したりする中で気づくかもしれません。ただここでも、自身の臨床判断を言語化することでこのような組織文化に気づくきっかけになるかもしれません。

 臨床判断を言語化することは教育だけでなく、医療者間のコミュニケーションでも役に立ちます。チームで共通の認識を持つためにも必要です。中でも私が最も臨床判断を伝えた相手は患者さんでした。これは外科病棟という特性もあると思いますが、自分がどのように考えて、どうしようと思っているか、何を協力して欲しいかを伝えると伝えないとでは、患者さんの反応は全く違ったように思います。

まとめ

このように私は、「看護の専門性のひとつに看護師の臨床判断がある。」と考えています。

みなさんは看護師の専門性ってなんだと思いますか? それぞれ大切にしていることは少しずつ違うかもしれません。きっとどれも大切な考えだと思います。専門性について考えてみることが、自分たちの看護師という職業の社会的地位を上げることにつながるかもしれません。私は看護が好きです。看護を生業とする方々が今より少しでも輝けるよう励んでいきたいです。

1) 保健師助産師看護師法|条文|法令リード|. (n.d.). https://hourei.net/law/323AC0000000203

2) 看護師のクリニカルラダー (日本協会版). (n.d.). https://www.nurse.or.jp/nursing/education/jissen/index.html

3) Tanner, C. A. (2006). Thinking like a nurse: A research-based model of clinical judgment in nursing. The Journal of Nursing Education, 45 (6), 204-211. doi:10.3928/01484834-20060601-04

コメント

タイトルとURLをコピーしました