教育を学んだものとして大切にしたいこと

教育に対する考え方

はじめまして。看護師のようと申します。

大学院で看護教育学を学習する中で、今後の臨床実践・教育実践において私自身が大切にしたいと思ったことについて書こうと思います。

  1. 看護と教育の共通性
  2. 学習者中心であること
  3. 患者(ケアの対象者)中心であること

看護と教育の共通性

「相手の持っている力を引き出し、独り立ちできるまでに育てること。これは教育・看護の本質であり、看護の中核となる機能である。」

これは看護教育学の講義ではじめに先生がおっしゃっていた言葉で(本当はもっとかっこよかった)、とても印象に残っています。

皆様の中には、看護師としては一応やっていけているけど、教育となると難しい。私には教育は無理ですと思っている方も多いのではないでしょうか。でもきっと看護師として頑張っている皆様であれば、教育についても考えることができると思います。

相手の持っている力を引き出し、独り立ちできるまでに育てることについて患者さんのケアを例に考えてみたいと思います。

私は、消化器外科病棟で勤務していました。

手術を受ける患者さんは手術侵襲によって一時的に身体機能が低下します。

ひとつは術後の回復が日々最大になるようにケアを行うことが相手の力を引き出すことになります。

治療が予定通りに進むように観察することや、合併症に早期に気づくこと、決められた処置を行うことも大切なケアです。その他には、鎮痛や適切な観察により、離床が可能か判断することができます。

また、離床だけでなく、口腔ケアや身なりを整えるなど、日常生活に必要な機能が自律して行えるかということを常に念頭におきます。また、退院後本人らしく生活を続けるにはどうすれば良いだろうと考えながら、食事や日常生活における制限などの必要性をお話をすることあります。

当たり前のことですが、患者さんはいつか自分たち看護師の手を離れていきます。

そのとき、「私がいないとできない」という状態にならないようにケアしていくことが必要です。

教育ではどうでしょうか

臨床ではたくさん勉強しないといけないことがあります。

後輩たちに覚えてもらいたいこと、できて欲しいことも無限にあります。

学習者の力を引き出すには、患者さんのケア同様に学習者に適したアプローチをしないといけません。(これについては今後ブログに書いていきたいと思います。)

最初は誰でも教えることにたくさん時間がかかるかもしれませんが、後輩達はみんな少しずつ成長していきます。

その成長の先には、これまで経験したことのない事例を経験したときには人知れず教科書を開いたり、研修などに自主的に参加する人もいます。

さらには自主的に勉強したことを活かして組織をよりよくしてくれるかも知れません。

教育する上でも、最終的には自律して学習できる人を育てることが目標になります。

看護と教育の共通性とは、

相手の持っている力を引き出し、独り立ちできるまでに育てること。

看護と教育が似ていることを感じていただけると嬉しいです。

教育が苦手だと感じていても、きっと誰にも素質があるんだと気づいてもらえるような関わりをしていきたいと思います。

学習者中心であること

教育において大切なことは、学習の独り立ちを目指すことでした。

その時に忘れてはならないことが、学習者中心であることです。

学習者中心とは具体的にどのようなことか

学習の本質という書籍を参考に見てみたいと思います。

学習の7つの原理の最初に書かれています。

学習者を中心とする

効果的な学習環境は、その中心的参加者として学習者を認め、学習者の活動的な関わりを促進し、学習者としての自身の活動の理解をその内に育てていく。

と書かれています。

さらにみてみると

  • 学習者が学習環境の中心的なプレイヤーである。学習者の認知と成長を重点目標にする。
  • 学習者が学習活動に積極的に参加し、能動的な探求を通じて自身の学習を構成させるようにする。
  • さまざまな教育方法を併用する。
  • 「自己調整的な学習者」の発達を目的とする。

(一部要約)

と書かれています。

ここでいう自己調整的な学習者とは、自分を客観的に見つめ、自ら学習に対するモチベーションを高め、目標を設定し、評価できる人のことを指します。

まさに学習においての独り立ちですね。

学習者中心であるには、学習支援者が学習者の視点に立つことがとても大切です。

しかし、これが非常に難しい・・・

多くの場合、教育は立場が上の人から下の人に行われることが多いです。

先輩が後輩に教える姿はよくみますが、後輩が先輩に教えている姿はほとんど見かけませんよね。

このように立場が対等でないことが多いのが現状です。

できるようになって欲しいことがたくさんある臨床実践の中では、学習者中心であることをわかってはいても、いつの間にか教育する人中心になってしまうことがありそうです。(私も気をつけます。)

そこでまず何をするか

ひとつは「自分の受けてきた教育が唯一の正解ではないと知ること」

日本では義務教育があるので、少なからず教育を受けた経験がほとんどの人にあります。

教育とは厳しくあるべきだ

いやいや何事も褒めるべきだ

勉強ばっかりでなく、実践しながら覚えた方がいい

まずは知識が完璧になってから実践した方がいい

これは私もそうですが、教育をしようと思ったとき、少なからず自分が受けた教育の影響を受けていると思います。

勉強するのはなんのため?という書籍には「一般化のワナ」と説明されています。

それではどうすれば良いか・・・学習者が成長できる方法が一番いいんです。

それはお互いの関係性や個性、状況によって違います。

必ずしもいつも学習者にとって最適な学習支援ができるわけではないと思います。

自分がどんな支援をしているのか、相手にとってどうだった振り返ることを大切にしたいです。

もうひとつ簡単にできることは「言葉選び」です。

例えば「子」

あの子〜がよくできるよね。

最近の若い子は〜。

1年生の子達は〜。

「子」っていうとどうしても下に見ているようなニュアンスになってしまいます。

これは大学院に入る前に私もよく使ってました。下にみてるつもりはありませんでしたが・・・。

お恥ずかしながら先生に何度か指摘されてやっと直しました。

あとは「指導」「教育」です。

これは直接指摘を受けたわけではありませんが、先生が指導とか指導者という言葉をあまり好んで使っていないことに気づき、自分で考え直しました。

指導と教育って似てるようで違うような気がしています。

私の解釈ですが、「指導」というと目指すゴールに向かって指導者が前にいて学習者を引っ張っていってるイメージがあります。

組織での決まり事を覚えてもらわないといけない時などは、指導という言葉があっている気がします。これも大切ですよね。

一方「教育」では、目指すのは学習者の独り立ちですから、前にいるのは学習者になります。支援を受けていること(学習支援者がいること)に気づかないくらいが、最終的には良いはずです。

このような言葉を使っている人たちを矯正してやろうというつもりは全くありませんが、使っている言葉の意味を少し考えると学習者中心ということの理解が進む気がします。

ここでは学習支援者の視点から書きました。

学習者の立場から考えると、自分自身も学習者として自律しているのかということを考える必要がありそうです。

患者(ケアの対象者)中心であること

これはみなさん学生の時に聞いたことがあるかも知れません。

実践する上でも大切にしていることだと思います。

意外と日々の行動を見直すと難しいところもあるなと思います。

看護って難しいです。

みなさんは教育とケアのどちらを優先していますか?

私の経験ですが、例えば

  • 勉強のために少し難しい患者さんを担当してもらおう。
  • 担当患者さんのことは担当看護師になるべく任せて、自分で考えてもらおう。
  • 私たちはなるべく手を出さないようにしよう。

などの場面を見たことがあります。

特に勉強のために少し難しい患者さんを担当することはよくありますよね。

重要なのは患者さんに不利益がないようにすることだと思います。

もちろん難しい患者さんを担当することは何よりも学習につながると思います。

ただその代わり、常に見守りながらサポートすることが絶対に必要です。

患者さんの治療効果が最大になるように、かつ、学習支援のタイミングを検討すること

が求められます。

「臨床で教育実践を行う看護師に一番重要なことは看護実践力である。」

このことを忘れずに、日々実践していきたいと思います。

まとめ

私が今後の実践で大切にしたいことについて書きました。

1.看護と教育の共通性

2.学習者中心であること

3.患者(ケアの対象者)中心であること

2年ぶりの臨床の世界はどのように見えるのか今は不安でいっぱいですが、いつもこれらのことを忘れずにいたいと思います。

参考文献

OECD教育研究改革センター. (2013). 学習の本質 研究の活用から実践へ (佐藤智子ら訳). 東京 : 明石書店.

苫野一徳. (2013). 勉強するのは何のため? 僕らの「答え」のつくり方. 東京 : 日本評論社

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