これは、「身の回りにある当たり前のこと(内在化していること)を問う」という看護管理学での講義で印象に残っているテーマのひとつです。
私は、転倒は当然看護師の責任だと思っていました。それが当たり前だと考えていました。このテーマのディスカッションを通して、転倒が医療事故でなくなる日がきたらと問われ、きっと救われる看護師や患者さんは多いのではないかと考えました。
転倒の責任は誰がとるのか
私は、「患者さんが転倒してしまったら誰が責任をとるのか?」と聞かれた時に「看護師」以外思いつきもしませんでした。
看護師をしていると患者さんの転倒の場面に出くわすことが日常的にあります。転倒による外傷はQOLの低下に直結します。QOLを低下させないためにも、日々転倒を予防するためにさまざまなケアを行います。ときには身体拘束なども検討しなければならない状況もあります。このような状況は看護師として非常に葛藤します。
実際に転倒して骨折してしまうケースや、家族間とのトラブルに発展するケースも見たことがあります。どうしても防ぐことが難しい転倒のケースも何度も経験したことがあります。もっともつらかったのは、救急搬送され全身状態が非常に悪く生死を彷徨っていた患者さんが、寝たきりから歩けるようになってまもなく転倒してしまい骨折してしまった事例です。このような場合、現状で責任を問われるのは当事者の看護師や管理者だったと思います。
ディスカッションの中で、この責任を患者さんやご家族と共にとることは許されないだろうかという意見が出ました。もしこれが許されるのならば、身体拘束などを検討する看護師の葛藤も減るでしょうし、患者さんが身体拘束を受ける機会も減るのではないかと考えました。
リスクと尊厳
続けて、「私たちはケアを考えるとき、リスクを減らすことから考えているのか、それとも尊厳を保つことから考えているのか。」という問いかけがありました。
私は中間管理職となり、リスクを減らすことを中心に物事を考えることが多くなっていたかもしれないと思いました。しかし、私の職場では尊厳を保つことにも取り組んでいるという自信もありました。リスクを考えるのではなく、尊厳から考えるということを実践している看護師もいると思いました。
リスクを減らすことためにしていることはなんだろうと考えたとき、入院時の誓約書の枚数が年々増えていくことやセンサー類の装着や身体拘束をするなどが思い当たりました。これらは多くの場合、自分を守るということに集中してしまっているように感じました。
もし、転倒が医療事故でなくなる日がきたら
もし、転倒が医療事故でなくなる日がきたら、きっと看護師は自信を持って尊厳を重視したケアができるようになるのではないかと考えました。一方で、転倒を医療事故に含まないということを、転倒してもいいんだと勘違いして捉える看護師がいるのではないかと不安にもなりました。
まとめ 自分にできることは何か
私が実践に戻ってできることは、患者さんに自信を持って尊厳を重視したケアをしたいと説明し実践することだと思いました。もちろんそれには家族の協力が不可欠であることを家族にも伝え、ケアの提供者として共に実践したいと思いました。それを繰り返し、現場から社会を少しずつ変化させることもできるのではないかと考えました。
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